食るり愉るり知多半島→
知覧麓の武家屋敷群は、江戸時代の中期、知覧領主島津(佐多)氏16代島津久達(の時代もしくは18代島津久峰の時代に風水を取り入れ形作られたとされています。薩摩藩は鶴丸城を内城とし、藩内に113の外城を設け、御仮屋を中心に武家集落を造り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその外城の一つです。これは、徳川幕府の「一国一城制」に対抗したものであるといわれています。