インドは、南アジアに位置し、インド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्यを日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。

 

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Qutupminar
クトゥプミナール


 1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられた。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。おそらくヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたものであり、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。
 

Agra Castle
アグラ城


 16世紀から300年余に渡ってインドで繁栄を誇った、イスラム勢力のムガル帝国の城で、帝国の強大な力と栄華を今に伝えています。デリーからアグラへの遷都に伴い、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって、1565年に着工し、1573年に完成した強大な要塞です。その後、第4代皇帝ジャハーンギル、第5代皇帝シャー・ジャハーンまでの、3世代の皇帝の居城となり、「赤い城」と呼ばれています。 
 

Taj Mahal
タージマハル

世界一美しい墓として知られる、北インドのタージマハル。白大理石でできた絢爛たる墓廟は、ヒンドゥー教国インドにおいて栄華を極めたイスラム王朝、ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、最愛の妻のために建造したものです。正確無比なシンメトリーが美しいパレス風の建物で、亡くなった王妃のために造営されました。イスラム建築の最高峰ともいわれるこのタージマハルは、腕利きの職人を集め、のべ2万人が携わったといわれています。
 
 

Amber Castle
アンベール城

アンベール城は、インドのラージャスターン州、ジャイプルの郊外の北東11kmの城郭都市アンベールにある宮殿。宮殿後ろの山上にジャイガル城砦あり、隠れた通路でつながっている。 アンベール城へは麓から急坂を歩いて登らなければなりませんが、名物の象のタクシーにゆられ城へと向かいます、かつて象に乗って登城したマハラジャの栄華を味わうことができます。
 


Fatehpur · Seacrerie
ファテープル・シークリー


 
ファテープル・シークリーとは勝利の都シークリーという意味である。勝利の都と名づけられたのは、当時、地方での戦いに勝利したためで。台地の上に建設されており、直行するグリッドに則した幾何学的な都市計画が実施されており、ほとんどの建築物が赤砂岩によって建設された、土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされた都市遺跡である。
 

Jantar Mantar
ジャンタルマンタル


 
マハーラージャであったサワーイ・ジャイ・シン2世によって造られた街です。マハーラージャによって造られた様々な建造物がこの街の見所となっているのですが、その中の一つがジャンタル・マンタル。ジャンタル・マンタルとは1728年から1734年にかけて作られた天体観測のための施設。屋外に設置された様々な観測器が大変ユニークな施設です。
 

Humayun's Tomb
フマユーン廟


 
ムガール朝の第2代皇帝であるフマユーンの霊廟。ムガール朝時代の霊廟のなかでは最も古いもので、1565年にペルシア出身であったフマユーンの妃、ハージー・ベーガムが指示し造営された。アグラのタージ・マハルの原型となった霊廟であり、ペルシアとインドの建築が融合した、ムガール時代の霊廟のスタイルがここに発生した。
 

 New Delhi
ニューデリー


アジア有数の大都市である。世界第57位の都市と評価されており、インドではムンバイに次ぐ第2位でる。 イギリス領時代の1911年、コルカタからデリーにインドの行政府所在地が移された。その際に、デリー市街(現オールドデリー)の南方約5km程の場所に行政都市として建設されることとなった。これがニューデリーの始まりである。
 

 Jaipur
ジャイプール


 
ジャイプールはインドの都市。デリーの南西約260kmに位置し、ラージャスターン州の州都である。2010年の都市的地域の人口は305万人であり、世界第112位、同国では第11位である。約10kmの赤い城壁に囲まれ、別名「ピンク・シティー」と呼ばれる。
 

City Palace
シティパレス


 
シティ・パレスはカチワーハー家の当主サワーイー・ジャイ・シング2世によってジャイプルの市街地とともに建設され、1727年にアンベール城から遷都した。それ以来ジャイプル藩王の住居として、またジャイプル王国の政治の中心として機能した。1947年のインド独立の2年後の1949年にジャイプル藩王はインドへの編入を受け入れ、その領地は隣接する地域とともにラージャスターン州の一部となった。現在かつての王宮は旧藩主の住居と個人所有の博物館と観光地になっている。
 


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