DIARY
 6月14日(月曜日)パナマ運河通峡。長い一日が始まりました、パナマ運河を一日かけて通峡します。パナマ運河は、1534年、スペインがパナマ地峡を通る運河安の最初の調査をしたことから始まり、最初の建設が着手されるまで三世紀以上が経ち、1880年フランスが20年かけて労力を費やしましたが、病気や経済的な理由で中断。その後、1903年にアメリカが引継10年の歳月をかけて完成しました。そのパナマ運河を一日かけて通峡です。早朝、5時30分パナマ運河入口クリストバルを通過、7時過ぎにガツン閘門に入りました三つの閘門を通過して、各閘門8mずつ上がりガツン湖へ入りました。熱帯雨林が広がる湖は人工湖とは思えない美しさげした。昼食の鰻重を食べ終わる頃、ゲイラードカットへ入り運河の幅狭くなり、すれすれで大型貨物船と行き交いました。1時頃、センテナリオ橋を通過いよいよ下りのペドロミゲル閘門を8m下って通過最後二つの2時30分過ぎにミラフローレス閘門を通過、左舷側展望ビルの大勢の見物客に見送られ3時40分最後の閘門を通過しました。アメリカ橋をくぐって太平洋に、パナマ運河出口バルボアを4時30分に通過、左舷に高層ビル群のパナマの街が見えました。すごい数のビルで南米各国の発展ぶりの凄さを見た感じがしました。

パナマ運河通峡パナマ運河通峡