日本の古い町並み

JAPANESE OLD TOWN PHOTO COLLECTION

日本の古い町並み写真集

伝統的建造物群保存地区&宿場

周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値が高い景観で古い町並みの武家屋敷、港町、宿場町、商家町、城下町、山村集落、染織町、里坊群・門前町、茶屋町、製蝋町、島の農村集落などの写真集です。

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竹富町
竹富町の農村集落

竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区は,島の中央に位置する3つの集落からなり,白砂の道とグック(石積),屋敷林に囲まれた屋敷に分棟形式の赤瓦屋根の民家が立ち並ぶ昔ながらの農村集落景観を残している。皆治浜(カイジ浜)は別名、星砂の浜。浜には、星の砂があります。

知覧の武家屋敷

江戸時代中期に整備されたと伝わる。御仮屋と呼ばれる行政庁を中心に道路割をなし,防衛を兼ねた城塁型の区画となっている。また,戸ごとに築かれ庭園は主屋とよく調和し,通りに面した石垣の上に大刈込の生垣が続き,地域全体が自然をよく取り入れた庭園都市的な造りとなっている。

島原の武家屋敷街

島原市の武家屋敷街は、江戸時代に島原藩徒士が居住していた島原城外郭の西側の当時鉄砲町と呼ばれていた地区の一部で町並み保存地区に指定されていて武家屋敷通りとも呼ばれる。7つの町筋には総て街路の中央に湧水の水路が設けられていた。今日その名残は下の丁の約406メートルの街路に見ることができる。

東山手
長崎市東山手

長崎の旧居留地で,明治初期から大正期にかけて住宅や領事館,学校建築が建設された。木造の洋風住宅は桟瓦葺で,海に向かって開放的なベランダを持つ。地区内には石畳の坂や石垣,石溝など,居留地時代からの工作物も残り,往時を偲ばせている。

南山手
長崎市南山手

長崎港を見下ろす住宅地を主とした区域で,幕末から明治にかけての住宅や,宗教建築,港に面して建つ銀行,税関建築等が比較的良好に残る。大浦天主堂(国宝)や旧グラバー住宅(重要文化財)があり,長崎市のシンボル的存在となっている。

智頭宿
智頭宿

智頭宿は、因幡国智頭郡にかつてあった因幡街道の宿場で、現在の鳥取県八頭郡智頭町大字智頭にある旧宿場町である。 奈良時代以来の畿内と因幡を結ぶ道で江戸時代には参勤交代の道でもあった智頭往来と、備前街道が合流する地にあって、両街道の宿場として栄えた歴史を持つ。

内子町八日市護国
内子町八日市護国

江戸後期から明治にかけて建てられた豪商屋敷や町家が軒を連ね,木蠟生産で栄えた町の面影を残す。浅黄色の漆喰で塗り込められた重厚な大壁や平入り造りが特徴。隣家との間に残る小道や水路は大壁や石積などと相まって独特の路地空間を生んでいる。懸魚や虫籠窓など、家々の意匠も変化に富んだ町並み景観を創り出している。

津和野
津和野

津和野町津和野伝統的建造物群保存地区は,島根県の最西端に位置し,周囲を山に囲まれ,津和野川沿いに町並みが展開する。保存地区内の道や区画は,江戸時代初期に整備されて以降大きな変化はなく,「殿町通り」の旧武家地と「本町通り」中心とした旧町人地が存在する。幕末から昭和初期にかけて形成された石州赤瓦の物群の中に,洋風建築であるカトリック教会などが町並みに変化を与えている。

伊根の舟屋
伊根の舟屋

伊根浦を特長付けるのは,海岸沿いに連続する舟屋群。ブリ景気によって,その多くが瓦葺二階建に建て替えられた。また昭和6年から約10年の歳月を費やして行われた府道伊根港線の拡張工事は,総延長約5kmにわたって幅員4mの道路を主屋と舟屋との間に敷設するものであり,これによってそれまで主屋と近接して建っていた舟屋や土蔵が海側へと移設され,多くの舟屋が二階建に変わっていった。しかしながら,その規模や形態については伝統が維持され続けてきた。

内子町八日市護国
萩の菊谷家

藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられました。屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。藩の御用商人・菊屋家は、大内氏時代には武士であったが、毛利輝元公萩城築城の際には有力町人として萩に入り、町づくりに力を尽くしました。国の重要文化財に指定されています。

津和野
松江の武家屋敷

松江城の北側堀沿いに、長屋門、塀が続き、松江でも最も城下町らしい面影を残す武家屋敷。塩見縄手と呼ばれるこの地域は、江戸時代、中級武士の屋敷が建ち並んでいたところで、その中で唯一、当時のまま保存されているのがこの屋敷です。松江藩の中級武士が屋敷替えによって入れ替わり住んだ所で、松江市の文化財に指定されています。塩見縄手は、「本の道100選」に選ばれている四季折々に様々な姿を見ることができ、旅人心を癒してくれる空間です。

伊根の舟屋
かやぶきの里美山

どこか懐かしさのあるかやぶき屋根の民家が里山に立ち並ぶ風景。その風景が見られる「かやぶきの里」は、国の重要伝統的建造物群保存地区となっています。約40棟ものかやぶき屋根の民家と美しい山々の融合は素晴らしく、京都の観光地エリアとはまた違った雰囲気を醸し出しています。

祇園
三之瀬地区

三之瀬エリアは江戸時代,朝鮮通信使が立ち寄ったことで知られる歴史ある港町です。現在は,ユネスコ「世界の記憶」にも登録された巻物や,古伊万里の名品など多くの見応え溢れる資料見られます。また,エリア全体が一体的に石畳に沿って整備されており,一帯はまるで庭園のような雰囲気。日本文化の風香る瀬戸内海をバックに,歴史ロマンに浸ることができます。

熊川宿
たけはら町並み保存地区

平安時代、京都・下鴨神社の荘園として栄えた歴史から、「安芸の小京都」と呼ばれる竹原。そのシンボルといえるのが、落ち着いた風情を漂わす国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定された町並み保存地区です。製塩地として飛躍的に発展した江戸時代、豊かな経済力を背景に頼春水・春風・杏坪の兄弟、また、頼山陽ら、多くの優秀な学者を輩出しました。
塩田と町人文化の隆盛が生んだ重厚な家々は、今日まで往時の姿を伝えています。

小浜西組
大山祇神社

全国に一万社余りある山祇神社と三島神社の総本社といわれる県内最古の神社。境内中央には樹齢約2600年の大楠が神木として鎮座しており、本殿や拝殿などの重要文化財も多く、時の流れを忘れるほど神秘的な空間が体感できる。海の神、山の神、武人の神として信仰があり、多くの武将から戦勝祈願や謝礼として武具が奉納されてきた

祇園
京都祇園

祇園は東は八坂神社、南は建仁寺、西は鴨川付近、北は新橋通の広い地域の名。鎌倉時代から祇園社(八坂神社)の門前町として開けたが、江戸時代からは遊興の町として発展。花街を中心に高級料亭やスナックが密集して一大繁華街になっている。 祇園は、国の伝統的建造物群保存地区に指定されています。

熊川宿
熊川宿

熊川宿は福井県三方上中郡若狭町にある 若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場。若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。賑やかだったころの宿場町の面影を今に伝える全長1キロ余の街道は、宿内を流れる前川と、雪国ならではのベンガラ塗りの家並みが印象的。

小浜西組
小浜西組

小浜は、古くから若狭の中心地であり、中世の頃には京に最も近い日本海側屈指の湊町として繁栄していました。大永2(1522)年には若狭武田氏が後瀬山城を築き、山麓には居館を配置し、町を整備しました。江戸期になると、京極家が小浜城の築城を開始し、これを中心とした町づくりを進め、中世の頃には武家と町人が混在した小浜の町は町人地として整備されることになり、東・中・西の3組に分けられました。

大津市坂本
大津市坂本

大津市坂本地区は、比叡山系の東麓で、琵琶湖の西岸に位置し、古来より比叡山延暦寺・日吉大社の門前町として発展してきた。安土桃山時代から江戸時代にかけて、比叡山上で修行を続けていた僧が高齢となって、天台座主から山麓に里坊(隠居所)を賜った。この里坊群が当地において独特の歴史的空間を形成している。里坊の建物と庭園、穴太衆積みの石垣などが、緑深い樹木や清らかなせせらぎなどと共にすぐれた歴史的景観を維持している。この里坊群を中心とした28.7ヘクタールが平成9年10月31日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

近江八幡
近江八幡

1585年、豊臣秀次によって琵琶湖の東岸に位置する八幡山に八幡山城が築かれた。八幡地区は八幡山の麓に建設された城下町を起源とする。1590年には京極高次が入城するが、豊臣秀次の失脚に伴い、八幡山城は築城から10年足らずの1595年に廃城。以後の八幡は東海道と中山道と北国街道が交差する交通の要衝である近江国の地の利を生かして商業地として発展、繁栄した。碁盤目状の旧市街を南北に走る新町通り周辺と永原町通り周辺、北の八幡堀の畔には、商家・町家・土蔵といった近世建築の連続性が高い町並みが現存する。選定地区周辺には、建築家ヴォーリズの設計した近代建築物も多い。

関宿
東海道関宿

関宿は、東海道の往時の面影を唯一残す歴史的町並みとして、昭和59年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。関町関宿重要伝統的建造物群保存地区は、東追分、西追分の間、約1.8キロメートル、25ヘクタールに及び、その中央には国の重要文化財にも指定されている関地蔵院があります。 保存地区は、木崎・中町・新所・北裏の4つの地区に大きく分かれますが、その町並みはそれぞれ特色のある表情をもっています

美濃
美濃

 美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区は東西約400メートル,南北約220メートル,面積約9.3へクタールの範囲で,江戸時代に形成された上有知の歴史的市街地のほとんどを占めている。保存地区では目の字型の街路に沿って短冊形の屋敷地割が連続し,主屋・付属屋・土蔵等の伝統的建造物が密度濃く残っている。目の字型の区画の中央にはかつて割残し状の土地が存在していたが,現在では,屋敷地として細分化されている。

岩村
岩村

岩村は江戸時代に東濃地方の政治・経済・文化の中心として栄えた城下町。保存地区は城下町の町家地区として形成された町の形態と近代の発展課程を伝える町家群が周辺の環境と一体となった東濃地方の商家町として、特色ある歴史的景観を良好に伝えている 。

郡上八幡
郡上八幡

郡上市郡上八幡北町伝統的建造物群保存地区は東西約589m、南北約525m、面積約14.1haの範囲で、旧町人地、旧武家地ならびに八幡城跡で構成される。旧町人地は、城下町の地割を継承した短冊形の敷地で奥行きがあるが、旧武家町は細分化され、奥行きが浅いものが多い。間口は旧武家地。旧町人地とも変わらず、二間半から三間が多い。それぞれ通りに面して主屋を建て、裏手に付属屋が続く。敷地後方を畑とする敷地もある。

白川郷
白川郷

合掌造家屋は59棟あり、幕末から明治時代の初頭にかけて建築されたものがほとんどである。合掌造は切妻[きりづま]の茅葺屋根に特徴があり、この地域が豪雪地帯であることから屋根は急勾配になっている。また、養蚕のため屋根裏を2〜3層、規模の大きな家屋では4〜5層に造って効率的な利用をしていた。

妻籠宿
妻籠宿

江戸と京都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともよばれていました。中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目の宿場となる妻籠宿は、中山道と伊那道が交差する交通の要衝として古くからにぎわいをみせていました。

馬籠宿
馬籠宿

江戸時代の参勤交代で多くの人が行き交った、中山道の宿場町 馬籠宿。その石畳の坂の街道は、今も江戸時代の面影が残ります。島崎藤村のゆかりの地としても有名な馬籠宿は、島崎藤村の生家で、馬籠宿本陣跡である藤村記念館も残っています。

高山市三町
高山市三町

城下町の中心、商人町として発達した上町、下町の三筋の町並みを合わせて「古い町並」と呼んでます。出格子の連なる軒下には用水が流れ、造り酒屋には看板ともいわれる杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり町家の大戸や、老舗ののれんが連なっています。

飛騨古川
飛騨古川

石造りの瀬戸川沿いを、右手に白壁土蔵街、左手には「水呼びの亀」が守る円光寺を見ながらのんびりと散策。飛騨古川の象徴的ともいえる景色が続きます。瀬戸川を悠々と泳ぐ1,000匹もの鯉に餌をあげるのも散策の楽しみのひとつ。絵になる町並みで記念写真を撮りながらじっくりと歩きたくなる道です。

半田運河
半田運河

温暖な気候、良質な地下水に恵まれた半田運河周辺では、江⼾時代を中⼼に海運業や酒や酢などの醸造業で⼤いに栄えました。運河沿いに⽴ち並ぶ⿊壁の蔵の⾵景とともに、歴史的な建造物も保存され、往時の姿を今に伝えています。

足助
足助

現在の足助の町並みは、この地区で安永4年(1775)に起きた大火以降に再建されたと考えられ、今も町並みには江戸時代中期から明治末までに建てられた建物が数多く残ります。足助は、尾張・三河から信州を結ぶ伊那街道(中馬街道)の中継地であり、物資運搬や庶民通行の要所として栄えた在郷町です。

有松
有松

有松は、慶長13年、東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に尾張藩によって開かれました。東海道を往来する旅人の土産物として絞り染め(有松絞り)が考案され、以降、有松絞りとともに有松のまちは発展しました。天明4年の大火により村のほとんどが焼失しましたが、尾張藩の援助もあり、20年程でほぼ復興したと伝えられます。

犬山城下町
犬山城下町


犬山城下町は犬山城の築城に伴い、もともとあった町を整備して作られました。商人や職人の同業者を近くに住まわせて、町の発展を促したとされ、鍛冶屋町・魚屋町などの町名に名残が見られます。また、町の中央部に町人町を置き、それを囲むように侍町を配置したほか、城下町の外周を木戸や堀、土塁等で取り囲む総構えの城下町として守りを固めていました。

奈良井宿
奈良井宿

難所の鳥居峠をひかえて「奈良井千軒」といわれ、木曽十一宿の中では最も賑わった宿場です。町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、往時の面影を色濃く残しています。今までにたくさんの賞を受賞してきたこの宿場は、連続テレビ小説「おひさま」の舞台にもなり、日本のありのままの美を感じることのできる地として、毎年国内外から多くの人が訪れ、この歴史的な宿場に魅了されています。

新緑の大内宿
新緑の大内宿

大内宿は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道の「半農半宿」の宿場の呼称。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての地位を失ったが、茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並ぶ同集落の通称、あるいは観光地名として現在も受け継がれている。1981年に重要伝統的建造物群保存地区として選定され、福島県を代表する観光地の1つとなっている.

真冬の大内宿
真冬の大内宿

真冬の大内宿. 山の中に突如現れる、奇跡の様に美しい景観。「日本の美しさ」を純化して凝縮したような静謐な風景。ぎし、ぎしっと雪を踏む自身の足音さえ飲み込まれそうな静けさを背に、真っ白な雪に埋もれたそのかやぶきの町並みは、ひっそりとそこにあった。

角館
角館

重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「武家町角館」。江戸時代初期の1620年に芦名氏が大規模な都市整備を実施した際に城下町を180度移転している。のちには佐竹北家の城下町として栄え、現在の保存地区は、その武家町のほぼ中央、上級、中級武士たちの住んだ町並みだ。 現在、公開している武家屋敷は6軒。建て替えたり、お屋敷がずらりと並んだ町並みは、当時に一気にタイムスリップしてしまう。しだれ桜などもあり、多くの観光客が訪れる。

函館
函館

伝統的建造物群保存地区は,函館山山麓から港へ向かう斜面地に広がる西部地区の東端に位置しています。旧税関敷地に近い港際から元町公園に至る,幅36メートル,長さ270メートルの坂道である基坂から,旧函館区公会堂の一画,さらにハリストス正教会の一画を経て大三坂を下り,港際の煉瓦倉庫群の一角に至る延べ約1.5キロメートルのコの字形の道筋に沿った町並みです。

小樽運河
小樽運河

小樽運河の全長は1140mで、幅は道道臨港線に沿った部分は20m、北部は当初のまま40mとなっています。散策路には63基のガス灯が設置され、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のまま残されておりレストランなどに再利用されています。夕暮れ時には、ガス灯がともるとともに石造倉庫群がライトアップされ、昼間とは違った雰囲気を演出しています。

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